あさりのお味噌汁

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ぱらぱら読み:幼児化する日本社会 拝金主義と反知性主義

【本の基本情報】

榊原英資

2007年7月19日 新装版第1刷発行

 
【読み始めた日、読み終えた日】

2020/9/28, xxxx/xx/xx

 

【本の重要な部分(自分の言葉に変換せず、そのまま書き写すことが大切)】
 表紙:ものごとはいろいろな角度から光を当てれば、違った姿が見えてくるものです。世の中の出来事を一方的に白だ黒だと決めつけて、黒を痛めつけたり、単純な犯人探しをする。こうした二分割的発送は思考の退化であり、人間の幼稚化です。日本社会にこのような退行現象が起きていることに、私たちは本当に気がついているのでしょうか。

P2:要するに浮かれすぎて、視野が著しく短期的かつ狭窄になってしまっているのだ。10年先、20年先を見据えた政策を構想し実行する能力を政府が失ってしまったばかりでなく、民間経営者たちも短期の業績や株価に一喜一憂し、かつての長期的視野を放棄しつつあるように思える。

P2:かつてなかったような様々な陰湿な事件やテレビ番組の低俗化を目の当たりにしながら、日本がどこか狂い始めているのではないかと思っている人達は少なくないと思う。そう、明らかに日本はあちこちのねじが弛み、歯車が逆転し出し、狂い始めたのではないか。教育の現場にいて、それを中国、韓国、インド等と比べるとますますその感を深くする。スポーツ選手や芸能人に憧れ、地味な努力を厭うようになった多くの若者たち。中国やインドで目を輝かせて勉学に勤しんでいる若者たちと比べるとそのあまりにも大きな差に愕然とせざるを得ない。

P2:しかし、子供達や若者は大人たちの鏡である。近頃の若者はと嘆くほど無責任なことはない。

P2:世の中は規制の緩和、民営化さえすれば「改革」だとレッテルを貼り、ここ十数年、「改革」という名のシステム破壊、権威の攻撃を続けてきた。しかし、新しいシステムの設計図も、新たな社会の担い手のイメージもなく行ってきた破壊は、今日本社会を惨憺たる状況に陥れ始めてきている。家族は崩れ始め、教育は荒廃し、企業はパブリック・マインドを失い、地方と一次産業は衰退の一途をたどっている。

P234:結論をすぐに聞きたくなるというのは、言い換えれば自分でものを考えるのが面倒だということです。しかし、考えることに興味や面白味を感じられれば、急いで結論を出す必要もなくなります。わからないからこそ考えるのが面白い、そう感じることが知的だということです。

P235:知的な活動を楽しむことは、学問が面白いという感覚と似ています。研究が面白いというのは、考えることによって新しい発見があるからです。そのように学問を続けていけば、いろいろなことがわかるようになりそうなものですが、研究者たちは学問を続ければ続けるほど、わからないことが増えてくるとよく言います。ただ、その中でも時には新しい発見があり、少しだが分かることが出てくる。そういう積み重ねが知的活動なのです。

P235:ものを考えずに結論だけ求める二分割思考がこのまま続けば、イノベーションがないどころか、最悪の場合、体臭によるファシズムのような状態になるでしょう。いますでにそうなっている気配すらありますが、少数意見が言えなくなる。少数派を認めなくなる。子供のいじめだけでなく、社会全体が異端を受け入れなないいじめの構造になっていくのです。

P236:二分割思考に慣れ切ってしまうと、人々は簡単に感覚的な判断をするようになりますから、容易に操られるようになります。典型的は例がナチズムです。それは大衆の狂気が作り出したものであり、ヒドラー一人が悪かったわけではありません。ヒトラーは選挙で選ばれているのです。

【自分の感想を書く(本の要点とは違い、自分の考えをまとめる)】

この本が書かれたのが2007年、その後2009年に民主党政権が誕生し、国民の75%が鳩山政権を支持することになる。当時、絶望に近い気持ちでその結果を見ていた。国民の大部分が「考える」知的活動をできなくなり、二極化思考に陥った。残念だが、昨今のコロナ騒動を見ていると、日本国民はさほど成長していないのかもしれない。いや、むしろ組織において80%はポンコツ、国も大きな組織のようなものだ。75%と80%、鳩山政権誕生時のこの支持率は、「成果の80%は20%の人達によって生み出されている」というパレートの法則を裏付けるにはとてもわかりやすい具体例かもしれない。インターネットの普及によりオールドメディア以外の情報源を人々が得ることが出来たのは良いことだが、それでも、一つ間違えれば国民は大きな過ちを犯すかもしれない。そうなった時に、日本は今度こそ致命傷を受けてるのではないか。そんな懸念が日に日に大きくなる一方、自分に出来ることは何なのか、その答えを見つけることが出来ずにいる。